2018年2月18日日曜日

娘の成長とわたしの飲酒(1)

40日間の入院で、やっと我が家に帰ることが出来た娘ですが、
毎週の病院通いと毎日の薬は欠かせませんでした。

リボトリールという、てんかんの発作を抑える薬を毎日飲まなければいけませんでした。

そして、この薬は肝臓に負担をかけてしまうので、肝機能の検査も定期的に受けなければいけませんでした。

子供の姿は、親の姿。
小さい体を痛めてまでも、親の間違いを教えてくれます。

肝臓が悪くなる薬を飲まなければいけないなんて。。

母親の私の肝臓は、アルコール依存症で日々傷んでいるはずです。

こんな小さな子が、自分の体を痛めて教えてくれていたに違いないのです。

それなのに私は酒をやめられませんでした。

二、三日やめても、どうしても飲みたくなるのです。

朝から呑んで、夕方まで寝込んでしまうことも多々ありました。

長男の幼稚園のお迎えバスも、酔っ払って寝過ごしたり、
フラフラになって出ていくこともありました。

きっと、影ではいろいろいわれていたかも知れません。
それでも、酒をやめることができませんでした。

こんな自分が本当に嫌だった。
自分が大嫌いで大嫌いで仕方ありませんでした。

入院生活で出会った母親たち

小児病棟ということで、いろんな病気のお子さんたちがいました。

20年以上前のことですので、覚えている個性的なお母さんたちの事をお話ししたいと思います。

一人は、とてもサバサバした北海道弁バリバリのお母さん。

とてもおもしろい愉快なお母さんでした。

お子さんは、2,3歳ぐらいの男の子(Y君と仮定します)

気管支喘息で入院していました。

とても愉快な面白いお母さんですけど、難点が一つ。

夫婦そろって喫煙者でした。

お母さんはかなりのヘビースモーカー。

「ちょっといってくるわ♪」

しょっちゅう喫煙所に行ってました。

Y君は、呼吸が苦しくて夜中にもゼーゼーハーハー。

たんが絡まりいつも苦しそうで、見ている私まで苦しかったです。

これは、「お母さん、タバコをやめてよ!」

の表れだったのではないだろうかと今更ながらに思うのです。



もう一人、覚えているお母さん。

お子さんは中学生の女の子。

拒食症でガリガリの女の子でした。

話しかけたらニコッとしてくれる可愛いお嬢さんでした(Aちゃんと仮定します)

普通のかわいい感じのお嬢さんだけど、

お母さんが、、、あまりにも過干渉すぎるのです。

「Aちゃん、これは食べる?Aちゃん、どこか気分悪くない?」
と、片時も離れることがないのです。

見ているこちらは、最初は甲斐甲斐しくお世話をされてるお母さんだなあと微笑ましかったのですが、何日も見ていますと、

これは、少しやりすぎなんでは?と思えてきました。

Aちゃんの態度は常に不機嫌。
お母さんをうっとおしく思っていることが一目瞭然なんです。

それでもお母さんは離れようとはしませんでした。

ますますAちゃんはブスッとした態度。

周りのお母さんたちがヒソヒソと噂ばなしを始めてしまう始末です。

「あの子の病気は過保護、甘やかし過ぎなんだよ」

こんな重病な病気の子供たちの中で、当時は「拒食症」なんて
ただの甘え、ワガママ病に見えたのでしょう。

周りから孤立していくのでした。

今思えば、Aちゃんは、お母さんの過干渉をやめてほしかったのだと思います。
お母さんを拒絶したい思いが、「拒食」という表れだったのではと思いました。

人のことばかりで、さて、私の場合はどうなんでしょう。。

高熱をだして泡を吹いて倒れた我が子。

これは、怒りの表れだと聞きました。

怒ってばかり、怒りを溜め込む。

恐ろしくも、ピッタリと当たってました。。

いつも怒ってばかりのわたし。
酒を飲んでは、夫に怒りをぶちまけるわたし。
いつも争いの絶えない家の中。

大きく見えるのは「怒り」です。

子供というのは、親の言うことは聞きませんが、
親のする通りにはするものです。

振り返ってみますと、思い当たるフシがたくさん出てきます。

酒により、間違った行動を起こしていたわたし。

子供がここまでよく育ったと今更ながらに恐ろしくなりました。

でも、いつも、「このままではいけない」
「こんな母親でごめんなさい」と
泣いていました。

そんな毎日でした。
それでも酒がやめられませんでした。
その頃のわたしはどうしていいのかわからなかったのです。




断酒1998日目、次の電信柱まであと少し。。



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